2022年11月11日 怒り

対戦ゲーム。対戦ゲームは人生である。人間とはなにかを教えてくれる。
いや、本当は、普通の人は直接人間と関わり合って人間とはなにかを知るんだろう。
対人恐怖症の自分はゲームを通さなければ人間を知ることが出来ない。

怒り。対戦ゲームは怒りをコントロールする術を教えてくれる。
いっときの怒りを超えて、自分が変化することを。

高校の時、物理Ⅰのテストで100点満点を取った。
自分は日本語が得意なので、初歩的な物理は教科書を読んでいれば簡単に理解できた。多分そういうことだったのだと思う。
クラスに友達がいない自分が100点を取ったことに対して物理教師が腹を立てたのか、ある日の授業でその頭頂が禿げ上がった物理教師は自分を教壇に立たせた。
そして、名簿の中から誰かを指名し教科書を読ませろ、と言った。
なぜそんなことをするのかうまく飲み込めなかった自分は、ただ名簿を見つめて教壇に立ち尽くしていた。その教師が、もういい、と言うまで。
それはおそらく「友達の居ないやつが100点をとっても何の意味も無いぞ」という、その教師からのメッセージだったのではないだろうか。
本当はその教室には、部活では普通に人と話をしていた自分が、普段接している女子がいたのだけれど、その人を指名しようという気持ちも起こらなかった。
特に反抗心のようなものがあったわけではない。クラスに友達がいない人間特有の、しゃべりたくない、しゃべる言葉がない、という感覚でもって、ただただ押し黙っていただけだった。
そして当時の自分は、クラスに友達がいない人間に特有の無感覚によって、その出来事を、なんか恥ずかしいめんどくさいことをやらされたな、くらいにしか思っていなかった。
その教師からの言外のメッセージに気づいたのは、その部活の女子から、自分を指名するようジェスチャーでアピールしていた、という話を聞かされてからだった。名簿をじっと見つめていた自分はそのことに気がつかなかった。

怒り。自分はそのできごとに対して、怒りを抱くべきなのだろうか?
でもそのメッセージは、今も自分に重くのしかかっているのかもしれない。
「孤独な人間は無価値である」というメッセージ。
あるいはもっと別のメッセージを読み取るべきなのか?
答えはまだ出ない。