ときどき思い出してアーってなって恥ずかしくなる思い出 2020/08/31

昔の自分は何を書けばいいのかわからなかった。書くことが無かった。
今の自分はこんなこと書いてていいんだろうかと思っている。どっちが良かったのか。

グラブルVS。21時台はオンライン対戦の調子が悪い。
PSNが混んでいるのか。それともネット全体が混んでいるのか。あるいは家の回線の問題か。
イイ感じに本家グラブル熱が冷めてきた。ランダム入手の素材や武器を集めるのは運ゲー過ぎてやっぱり乗り気に慣れない。その意味で古戦場やアーカルムの方がまだ楽しい。
だからグラブルVSやるかと思ったけどそれもまた微妙。モチベは普通。
いろんな可能性を考えよう。

中学校卒業してわりとすぐの同窓会。ムダに緊張した僕は、待ち合わせ場所についたとたん特に仲が良かったわけでもない女子と延々しゃべり続けた。多分向こうも緊張していたんだろう。たまに思い出して、アーってなって恥ずかしくなる思い出の一つ。
今から思えば全然大したことじゃないのにアーってなる思い出がいっぱいある。銀魂の作者もあるって言ってた。わりとよくあることなんだろう。
そういう思い出を文章にしたためれば、アーってなることは減るんだろうか。多分減らないんだろうなぁ。まぁ試しに今後もちょくちょくやってみよう。

小学校の休み時間。教室に入ってきた生徒が、知り合いで先輩の「三浦」だと思い、大きな声で「三浦!」と叫び立ち上がった。でもよく見たらそれは三浦に雰囲気が似ているだけの全くの別人だった。
突然大声で「三浦!」と叫ぶ変な奴になってしまった自分は、どうにかこの状況を誤魔化そうと、苦し紛れに「……知良」と呟きながらしずしずと席に着いた。何一つ誤魔化せていなかった。思い出すとアーってなる。
こうして書いていくことで、他にもどんどんアーってなる思い出が湧き出そうになっている。むしろ逆効果かもしれない。この辺でやめよう。

そもそも恥とは何だろう。
逸脱してしまったとき。あるいは自分の隠れていた部分が露わになったとき。人は恥を感じる。
しかしそのような状況は、芸術だとかのいわゆる「表現」にも通じている。
意図せず出てしまったのが「恥」で、意図して出したのが「表現」ってことか。
でも、意図して出した表現の中には、意図しなかったはずの何かが、顕在的、あるいは潜在的に必ず含まれている。必ず、だ。
それを恥と呼ぶことは通常あまりない。
逆に「表現=恥」みたいな人も歴史上にはいくらかいる。

結論の無い話になってしまった。
いつかブログを書いていたことも恥になる日が来るんだろうか。
ヤだなぁ。

恥

  • 作者:太宰 治
  • 発売日: 2012/09/28
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