2022年10月10日

オーバーウォッチ2。やっぱめっちゃおもろいなこのゲーム。


日々の運動で体の調子は良さげ。でも目は疲れ切っている。


自分の固有性を見つめなければ、それは発揮されない。
しかしそれを見つめるのは困難だ。
社会は様々な形で人間を既製品、大量生産品にしようとする。
そこに何者かの意志が働いているというわけではない。
ただ単に、そっちのほうが四方が丸く収まるから、といった要因が強い。
個性の重要性が叫ばれていた時代もあった。
しかしそれも「みんなが『個性が大事だ』と言う」という矛盾した状況を生んだだけだった。
社会が人間を抑圧するだけではない。人間が社会を構築している側面もある。
人間ひとりひとりが、社会を構成し個人を縛る鎖であり、牢の檻なのだ。
というどこかの哲学書を読みかじった人が書いたみたいな文章を書いている自分は一体何者なのか。


ポリコレがゲームを面白くするわけではない。
しかしだからといってポリコレを無視すればゲームが面白くなるというわけでもない。
ポリコレを叫ぶ声も、ポリコレを無くせと叫ぶ声も、同じくらい画一的である。
どっちにも多様性が無い。
そもそも多様性が善なのか。
というような問題に対して自分は何の答えも持ち合わせていない。


教職関係者の犯罪がニュースになるたび、教員になった昔の知り合いのことを思い出す。
だからといってなにをするわけでもないけれど。


ラップミュージック全般に対して「そんなにメッセージ性を込めたいならもっとゆっくり歌えよ」と感じてしまいイマイチ乗り切れない。
故に、ナンセンスっぽければそうは感じない。