格闘ゲームに必要なのはドMになることではない 2020/09/15

ドラゴンボールファイターズにアプデが来たのでちょっと触る。
もう1年位は対戦してないと思う。アプデ来たときだけちょっとコンボ練習して終わり。それでも楽しいゲーム。
メインはグラブルVSと決めてるし、2つの格ゲーを同時にやれるほど器用ではないので、今後もドラゴンボールをやることはないだろう。
それでもたまにコンボゲーが恋しくなる。コンボゲーから格ゲーに入ったもののサガとして。

格闘ゲームに必要なのはドMになること、ではないと思う。多分。
ドMとは痛みそのものに快感を感じる人のことだ。
それに対して格闘ゲームは、勝った時やいいプレイをした時に快感を得られるもの。
その一瞬の快感のために、負けや、地道な練習を積み重ねられる人がどこまでも強くなる。基本的には。
そういう人をドMと呼ぶのは実態に即していない。

人が変化するために、意志というものは、通常あまり役に立たない。
意志が無駄というわけじゃないし、まして決定論的に意志なんて存在しないと言っているわけでもない。
ただ、意志とか決意とか覚悟みたいなものが人間を変えてくれる、という図式が、現実においてあまり役に立たない。
人間の行動は主に欲望や快楽原則と言ったものに根ざしている。つまり基本は動物。
それをメンタル一つで変えようとすること自体が間違っている。
欲望のままに生きること自体は何も悪いことじゃない。
でも時に、欲望のままに生きることが苦しみを生んでしまうような状況もある。
動物はそういう状況を認識することがおそらくできないか、あるいはそういった能力が乏しい。
一方人間は、状況を俯瞰的に見てより快適な状況を自ら作り出す能力に非常に長けている。
だからこそ、全ては感じることや知ることと考えることから始まる。
内面から意志のようなものが湧き出てくるのは、その後の話だ。
というような話がこないだ読んだ哲学の本の要点だったと思うが、定かではない。

哲学の先生と人生の話をしよう (朝日文庫)

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