2021年4月5日

サブノーティカにハマりすぎて生活がムチャクチャ。PSストアの意図通り、Play at Homeにはなっているけど、完全にプレイしすぎ。
プレイするほどやれることが増えていくという、探索ゲームとサバイバルゲームの共通点が上手くかみ合わさっている。よく出来ている。
シーモスで900メートルまで潜れるようになったけどまだ行けないところがある。
ジャイアントゴーストツリー美しかったなぁ。
電気ショック出してくるやつ怖いなぁ。
やっとプローンスーツとやらに必要な素材が集まった。むしろチタンや銅などの汎用素材が足りないので集めねば。

と、思ってPS4をスリープ復帰しようとしたらエラーが出て、ソフト立ち上げたらセーブデータが3時間くらい巻き戻ってた。
どうやらこのゲームバグが多いらしい。うーん、やめっか。
というわけで攻略wikiとエンディングの動画だけ見て終わりにした。
次はEnter the gungion やってみっかね。
合間にデス・ストランディングの安らぎを挟もうか。



日課の般若心経タイピングを忘れている。生活が乱れているサインだ。



格闘家のYouTubeを見ていたら、やっぱり頭を使わなきゃダメだな、と改めて思う。
無意識に本能が正解を選んでくれる、みたいな境地にオトコノコなので憧れてしまうわけだけれど、達人が長い年月をかけて結果的にそういう境地に至ることができる(らしい)わけであって、最初から何も考えていない人間は、ただの無策。

じゃあ頭を使うって、具体的にどういうことなんだ? っていう疑問が必然的に導き出される。
「頭を使うこと」について頭を使う。さらにそのことについて頭を使う。
そのような無限性が、頭を使うこと、難しく言えばメタ認知の罠でもある。
どこかでやめなければ、行動することはできない。
と、言うのはとある本の受け売り。

でも本当にそうだろうか?
行動することと考えることは両立しないのか?
っていうか、僕が、その本の内容を曲解してるだけでは?
武道で言うところの「居着き」の状態になっていたのかもしれない。

常に揺れ動く現実に対応するためには、自分自身もまた、常に動いている必要がある。
それが「頭を使う」ってことじゃないか。
逆のことも言える。
常に動いている自分自身に対応するために、環境を変えていかなきゃいけない。